無念

nanax2005-11-06

昼飯を食って1時に出発、苫前つまりオラが住む町から東の海にでるまでに走行距離110kmくらいで1時間半で海まで到達。うち半分くらいが峠で、きついカーブの連続連続で泣きそうでした、恐るべし雨竜山脈。山を越えてからも回りは畑しかないのに無駄にカーブの連続連続、お前らの畑など知らん!道路は真っ直ぐ作るべきだ!この農民どもがっ!とか心の中で叫んでました。
ちなみに無謀にも、2歳と4歳の子供を連れて嫁は留守番で出かけてきました。まさに俺は勇者!俺を褒めてくれ!って感じだ、うんうん。嫁は髪を切りに行って、近所の奥さんを誘ってお茶してたそうな、その奥さんは旦那に子供を見させたそうな、あぁとばっちりがw

ってことでとりあえず過疎地から過疎地への移動完了したけど、着いた所も勿論激しい過疎なんだけど(酷。まず道の駅でも行こうかと北上して
http://www.hokkaido-michinoeki.jp/data/50/each.htm
なぜだ、なぜ海沿いの町なのに道の駅を海沿いに作らないんだ・・・
天売焼尻のフェリー乗り場にいったりウロウロして、近くにあった地図をみてみると
http://kitakitsune.hp.infoseek.co.jp/report/totext/8.5kumaarasi.htm
とか怖いんだけど・・・けどそこから32kmも山の中で行くわけもなくw

んで南下して小平町の道の駅に寄ってみた。
松浦武四郎という人の銅像がありました、三重県出身で北海道の名付け親らしいという、初めて知りましたがw

松浦武四郎翁の像

北海道の名付け親、松浦武四郎翁は、文政元年(1818)伊勢国須川村(現三重県三雲町)に代々郷士であった松浦家の四子として生まれる。
翁は27歳の春、蝦夷地探検を発起以来6度に渡り蝦夷地を案内のアイヌの人々と調査し、詳細で実情をあますことなく書き記された地図・絵図・記録は高く評価され、探険家・研究者として、その功績は偉大である。
翁の身長は4尺8寸(1m45cm)、足の大きさは24cmと小柄ながら、その旺盛な精力と知識欲により未開の荒野を踏査・探検し当地へも4度に渡って訪れ、鰊漁場の賑わいをきわめた往事の鬼鹿の歴史を詩に残している。
松浦武四郎は、社会学史上・文化史上に輝く燦然たる偉人であるとともに北海道の史実を証するものとして、今もなお道民の心の中に行き続けている。

銅像の下に書いてあった、変換というか字が読めないw、鰊って読めませんでしたが何か?

http://www.city.matsusaka.mie.jp/bunka/shisetsu/take_mu/take_kinenkan.html
http://www14.plala.or.jp/watermelon/newpage63.html

北海道の地図を始めて作った人でもあるので、道内各地に記念碑がある模様。

そして無謀にも温泉に入りたくなった気持ちを止めることが出来ず、子供2人を連れて
http://www.colorsnet.ne.jp/oro_info/onsen/fuwatto/fuwatto1.htm
温泉に入っちゃったwwww、モモがどんだけ怯えるのかと俺も脅えたが、それなりに近くに置いておけば問題ない感じで、隣のおじさんのシャワーが思いっきり顔面にかかったりしてパニック気味になってたりしたが無事に温泉に入ることが出来た嬉しいw建物はかなり立派だがお風呂も洗い場も少し狭苦しい作りだったけどw露天風呂から海を眺めるっていいもんですよ奥さん。


目的は水平線に沈む太陽をみ見る
これが最大の目標のために出発したのだが、今日はずっと曇りで結局は太陽が見えないまま真っ暗になりました・・・・日頃のおこ(ryとか言わないように・・・


けどまぁ、子供達も行き帰りの車の中はずっと寝てただけだけどw、それなりに楽しかったみたいだし、俺も心地よい疲労感とドライブによってストレス解消になったかな。
あぁ夏タイヤを履いてればもっと峠を攻めれたのに (違